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謎の遺跡トンカラリン!和水町に眠る古代遺跡!

どうも。よゐこパンダです。

みなさん。トンカラリンはご存じですか?

絶対知りませんよねーーー。

はい、トンカラリンとは九州の熊本にある謎の洞窟の事をいいます。

この洞窟の過去についてはいろいろな説が飛び交っています。

例えば「シャーマニズムに関係した鬼道説」「水路説」。いろんな説があるけどやはり解明できないまま現在に至ります。

今回はこの謎の遺跡トンカラリンに僕らのチームのキャンプ好き『キャンプギア部さん』と探索にいってきたのでその記録を記していきたいとおもいます。

もし時間があるなら皆さんもこのトンカラリンの正体を考えてくれると嬉しいです。

目次

トンカラリンとは?

まず最初に今回の本題トンカラリンについて分かることを書いていこうと思います。

トンカラリンについて

トンカラリンは熊本県玉名郡和水町にある長さ464.6mの謎の隧道のことです。

謎というだけあって、誰が何のために作ったのか未だに解明できていないのです。

自然の地隙と人工物が混ざった隧道で計5つの隧道から構成されているとされます。

トンカラリンの名前の由来は石を投げ入れたときに「トンカラリン」と音がすること、または朝鮮語の「天帝」や「鬼のこもる穴」に由来するとされています。

どちらも面白い由来ですね。

トンカラリンの構成

トンカラリンは地隙と人工物が組み合わさってできた全長464.6mの隧道です。

人が通行するトンネルにも見えれば、水路のようにも見えます。そのため考古学者からは様々な意見が出されていますが真相は闇の中です。

このトンカラリンの構成には以下のような特徴があります。

・地隙と人工物が組み合わさっている

・全長464.6m

・いくつかのトンネルによる構成

・エジプトのピラミッドと同じ構成

なお4番の「エジプトのピラミッドと同じ構成」という説は考古学者の吉村作治氏によって考察されています

。吉村作治氏はエジプトの考古学者なので出鱈目をいっている風には思えません。

他にもこのエジプト説に関しては、朝里樹氏が監修し、えいとえふ氏が手掛けた良書『日本怪異伝説辞典』にも記されていて内容は以下の通りになります。

はるか昔にエジプトを脱出してきたイスラエル系の末裔が手掛けたとする説もあり、今も活発な議論が行われている。

引用:日本怪異辞典『トンカラリン』

エジプト文明とメソポタミア文明その中間にあったイスラエル系の末裔がどのようなルートで日本に来たか気になりますね。

なおエジプト文明とメソポタミア文明が過去日本に伝えられたとして裏付けるものが古代文字シュメール文字です。このシュメール文字はメソポタミア文明で使用されていた文字でこの文字の彫られた石が九州各地で見つかっています。

たとえば南阿蘇の押戸石がその代表例ですし、以前登頂した清栄山もその一つです。

トンカラリンが生まれた時代

まずトンカラリンにはその文献や歴史書がまったく残っていないということを書いておく必要があります。

つまり、いつの時代に何の目的で作られたのかが分かっていません。

トンカラリンが発見されたのは、1974年(昭和49年)。それ以降調査が行われ続けましたが詳しい手掛かりはいまだ発見されていないようです。

一説によるとトンカラリン内部において江戸時代の灯置台が3つほど発見されており、作られた時代は江戸時代以前ともされています。

ここでも、考察しやすいようにまとめを書いておきましょう

・作られた時代はいまだ謎

・江戸時代の灯置台が3つ発見されたとされている(参考文献:トンカラリン

トンカラリンの名前の由来

次にトンカラリンの名前の由来です。

誰がいつ頃名付けたのか分かっておらず、こちらに関しても謎に包まれています。

トンカラリンという名前の由来についても諸説ありますが、特に有力なのは2つ。

その一つが「石音説」です。

トンカラリンに石を投げ入れたときに、「とんからりん」と音がするからというものです。

この一つ目の仮説、「石音説」。

こちらを詳しく調べていくと石に関する呪術にたどり着きました。

日本では古くより石を使った運試しの呪術があります。例えば宮崎県にある願掛け亀や、熊本県湯ノ児にある願掛け亀がその代表です。

<鳥居に乗った石>

他にも鳥居の上に石を投げ落ちなければ願いが叶うという伝承もあります。

このトンカラリンにもこうした風習があり、それが名前として受け継がれたのではないか?という見解もあります。

次に有力な説が「朝鮮語由来の説」

「トンカラリ」は鬼のこもる穴といわれ、そして天(トンカラ)帝(リン)を意味するそうです。

特に鬼のこもる穴「トンカラリ」はかなり有力で、地域に鬼神信仰があったのではないかと推測されています。

いずれにしても呪術や鬼道などシャーマニズムとの関連が強く、この土地が神聖な儀式の地であったのではないかという推測を色濃くするものになっています。

・名前の由来は石を落とした時の音説

・名前の由来は朝鮮語起源説

トンカラリン周辺の遺跡

トンカラリン周辺では遺跡や神聖なものが多数発見されています。

ここではトンカラリンの周辺にある遺跡について列挙していきましょう。

江田船山古墳

江田船山古墳は和水町の清原台地に所在する前方後円墳です。
トンカラリンと同じ台地に所在するこの江田船山古墳では、日本最古の本格的記録文書である75文字の銀象嵌銘を持つ太刀が出土しています。

トンカラリンとの関係性はこれだけでは分かりませんが、やはりこの土地が神聖であったことが考えられるでしょう。

前原長溝甕棺群(まえばるながみぞかめかんぐん)

熊本県玉名郡和水町原口字雀迫704に位置する遺跡。トンカラリンからかなり近くここで3つの変形頭骨が発見されています。

変形頭骨は南米のシャーマンに見られる風習で、支配階級にあるものが自己の役職を示すために人為的に頭骨を変形させたものとされています。

そういえば以前書いたオカルト系の記事に「巨頭オ」というものがありました。この「巨頭オ」は鹿児島の某所という設定になっていますが、場所が九州であることからかつての変形頭骨のようなものを匂わせてくる感じがします。もしこの変形頭骨を示唆しているのであれば、作者はある程度考古学に精通した人物であると考えられますね。

トンカラリンの正体

上記で紹介した仮説を踏まえいろいろな著名人がトンカラリンについて仮説を立てています。

近年で一番注目されているのは松本清張が魏志倭人伝から読み取った鬼道説です。

他にも様々な説があるので少しまとめてみようと思います。

水路説

かなり有力な説でこちらも多くの著名人が考察しています。

まあ、なんとも浪漫のない説ですが、この説を否定する声もささやかれています。

水路否定説がささやかれるようになったのは、平成5年6月におこった九州集中豪雨です。

水路説であればこのトンカラリンに水が流れるはずですが、一切の被害がなく水路とするにはあまりにも矛盾がありすぎるのではないか?と指摘がなされました。

以下矛盾点を指摘している文になります(引用:トンカラリン看板より)

①上部の大地が多いので流れ出す水が少なく、大規模な水路を形成するメリットがない。

②トンカラリン規模の水路を作った場合2億円と労力がかかりそれに見合った経済効果がない。

③構造が単純でなく複雑すぎる。

④石組みの構築部に自然起因による災害箇所が使用されている。

⑤面取りなど不自然な装飾箇所がある。

上記に示した内容からやはり、用水路の可能性は低いとされています。

鬼道説

最も有力で人々を考察に駆り立てた仮説がこの鬼道説。

こちらに関しても多くの著名人が推測していますが、特に有名なのは松本清張氏の魏志倭人伝に基づいた考察ではないでしょうか?

「この遺跡がいつ頃できたのかが問題だが、切石積みの状態(切石がかみあわさっている)が横穴石室古墳の手法に近いところから、5世紀末から6世紀にかけてではないかと考える。あるいはもう少し時代が下がるかも知れない。」

「ここで魏志倭人伝に見える「鬼神」の記事が思いあわされる。とくに、高句麗の条には、「その国の東に大穴ありて隧穴と名づく。十月に国中大いに会まり、隧神を迎え、国の東の上に還してこれを祭る。木隧を神座に置く」とある。」

「さて、前文のようにみるならば、この隧道施設が朝鮮より来た鬼神信仰の祭祀遺構と考えることができる。 このことは、菊池川を境界にして、装飾古墳が筑後・豊後の実写的な地下彩画と、肥後の幾何学文様の地下彫刻式とにわかれ、そうしてこの菊池川沿岸で両系統が相まじっていることを思い合わせて、興味深い。」

「トンカラリンの隧道遺構は、5世紀末以降の構築ではあっても、もともとこの地域にはそれ以前から鬼神信仰があったと思われる。その伝統が長い隧道というプランとなった。すなわち、東の上の「隧穴」から隧道を通過してくる「隧神」を迎えて村落中が祭るという儀式になったのではあるまいか。」

「このように考えれば、鬼神信仰地と、卑弥呼の「鬼道」とが、現在、鶯原神社のある台地上に結合できることも、それほど誤った憶測ではないであろう。古い祭祀跡に、後代になって神社が建つ事も珍しいことではない。この隧道施設のある附近を韓伝にある「蘇塗」に考えることができる。」

「以上、倭人伝の記事から、卑弥呼の「鬼道」は従来云われてきたような北方シャーマニズムではなく、3世紀の朝鮮的な鬼神(地下の祖霊崇拝)であり、卑弥呼はその霊媒を北部九州の諸部族の首長達に伝えていたため、前述のように陳寿または魚拳がこれを「女王」としたにすぎず、その「蘇塗」的な宗教地が「邪馬台」であろう、という私の考えを述べてきた。菊水町江田付近の隧道祭祀遺構をもって、私は直ちに邪馬台国に擬定するという短絡的な推測はしないが、一つの参考値とはいえる。考古学、歴史学、の専門学者・研究家の調査を望みたい。」

引用:松本清張『新考 邪馬台国』

上記のような考察が松本清張の『新考 邪馬台国』にて記されています。

では鬼道とはなんなのでしょうか?

鬼と聞けば邪悪なものを考えてしまいがちですが、朝鮮半島に伝わる鬼とは死者の魂のことを言うそうです。

この鬼道については魏志倭人伝に書かれているようで、鬼神(死者の魂が神格化したもの)を迎え入れる道が鬼道とされるようです。

儀式としては巫女(卑弥呼)が隧道を通ってくる鬼神を迎え入れ、厄を払うといった内容ですが、鬼神信仰が元々あったとされる土地と、その隧道が結合している台地上に鶯原神社があることから、やはり鬼神信仰のための鬼道説が有力ではないか?と松本清張は言っています。

なお神社が後々建てられている場所はもともと神聖な儀式の地であったことが多いとされ、それが一層この鬼道説を有力なものにしているのです。

謎の隧道トンカラリン訪問!

というわけでオカルト好きで冒険好きの僕がトンカラリンを無視するわけがなく、さっそくトンカラリンにいってみました。

さすがに一人では怖いのと危険なのもあり、キャンプギア部さんについてきてもらうことにしました。

道の駅菊水からすぐ…トンカラリンの立て札発見

場所は和水町。

この和水町にある道の駅菊水のそばにトンカラリンはあります。

道の駅菊水沿いの道路を玉名方面に行くとさっそくトンカラリンの看板が見えてきました。

その看板方面の道なりに車を進ませると、トンカラリンについて詳しく記述された看板を確認することができます。

この看板には最も有力とされえる「水路説」、そして松本清張の「鬼道説」が書かれています。
※詳しくは上部「トンカラリンの正体」項目を参照してください。

さて、看板付近に駐車場があるのでそこを使用します。

近くに民家があるので駐車場って気づきにくいかも!!

トンカラリン内部散策するぞ!!しかし…

せっかくトンカラリンにきたのだから徹底的に調べ上げるつもりでGoProまで持参してきました。

服も汚れていいシャツに着替え準備万端!

看板に従いトンカラリンのメイン開口部を探します。

なお、キャンプギア部は最初は乗り気ではなかったものの現地では非常に強力してくれました。

民家下にある穴。

これはトンカラリンの一部だろうか?

この穴を見るだけだと確かに水路に見えてしまいます。

少し進むとメインの開口部が見えてきます。

しかし…

え?

ええええええええ!?

なんと…僕のやる気もむなしく、トンカラリンは立ち入り禁止になっていました。

原因は熊本地震のようです。

熊本地震後内部の整備が行われていないのか、まさかのこれ…激萎えです・

とはいえ開口部の写真くらいは取っておこうと写真を撮っておきました。

この人工的な階段と人が入れる大きさはやはり鬼神信仰説が有力なのではと疑ってしまします。

奥に行くと狭くなる。

これは…怖い。

立ち入り禁止になっていてよかったと少し安心しました。

さらに別部分にも開口部はあります。これもトンカラリンの一部ですがこちらも立ち入り禁止になっています。

開口部のみの写真になります。

このような隧道が幾多にも交わりトンカラリンが形成されているといわれています。

にしてもこの写真は完全に地隙。

時折見える人工物がなんだかミステリー性を強くしていますね。

この隧道の上部に神社があり、そこがかつての儀式の祭壇だったのではないかと推測されています。
※松本清張いわくかつての祭壇の跡に神社が立つのはよくあることらしい

はい。というわけでトンカラリン探索終了

いや…

なんというか…これだけ????

自己嫌悪です。

冒険ログの名に恥じぬようにどうにかして立ち入りを試みようと考えたのですが、国の方針と世間体やリスクを考え今回は中断させていただきました。

もっと探索をしたかったのですが、熊本地震以降整備されていないっぽく非常に危険な箇所が多くみられた。とはいえ外観の丘は整備されているので、上からでも見てみたいという方は是非訪問してみてください。

あと、国の方…もしよければ早期復旧たのみます!!

ちなみにこのトンカラリンを攻略している方もいたので、動画を貼り付けておきます。

参考までに。↓↓

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